劉頌の上書

 

西晋武帝太康十年(289年)、淮南相・劉頌が上書しました。

西晋時代38 西晋武帝(三十八) 司馬遹 289年

 

ここでは『資治通鑑』を元に上書の内容を紹介します。

「陛下は法禁を寛縦(寛容・放縦)にしていますが、(このような状態は)以前からの積み重ねによるものであり、一旦において直縄(法制)を用いて下の者を御すことはできないので、誠にこれは時宜(時勢に合ったこと、当然なこと)というものです(陛下以法禁寛縦,積之有素,未可一旦以直縄御下,此誠時宜也)。しかし矯世救弊(世を正して弊害から救うこと)に至っては、自ずから徐々に清粛に就くべきであり、譬えるなら舟が進むのと同じで、急流を横切ることはできませんが、(流れに乗って)少しずつ前に進み、徐々に目的とする場所に向かえば、最後は渡ることができます(譬猶行舟,雖不横截迅流,然当漸靡而往,稍向所趨,然後得済也)

泰始以来、三十年が経とうとしていますが(晋が魏の禅譲を受けた泰始元年・265年から、足掛けで二十五年になります)、諸事業は以前より盛んになっていません(凡諸事業,不茂既往)。陛下の明聖をもってしても、まだ叔世の敝(衰乱の時代の弊害)を覆せずにいます。始初の隆盛を成就させて、それを後世に伝えるということを思わないのでしょうか(以陛下明聖,猶未反叔世之敝,以成始初之隆,伝之後世,不無慮乎)。もしも異時(後世)の大業が不安になったとしたら、その憂責(重責)はやはり陛下にあります(使夫異時大業或有不安,其憂責猶在陛下也)

臣が聞くに、社稷のために計るなら、親賢(近親・賢才)の封建に勝ることはないといいます。但し、事勢を審量(考察)すべきであり、もしも諸侯が義を率いて(義を遵守して)動くのなら、その力は京邑を維帯(守ってまとめること)するに足りますが、もし禍心を包藏していたら(隠し持っていたら)、当然、単独では役に立たなくなります(其勢不足独以有為)。これを整えるのは甚だ難しいことですが(其斉此甚難)、陛下は古今に達した士(古今の事に精通した士)と共に深くこれを籌る(図る)べきです。周の諸侯は、罪があったらその身を誅放(誅殺・追放)されましたが、国祚(国君の位)は喪失しませんでした(原文「周之諸侯,有罪誅放其身,而国祚不泯」。『資治通鑑』胡三省注が解説しています。例えば周は斉哀公を誅殺しましたが、その弟を国君に立てました。また、魯侯・伯御を誅殺しましたが、改めて孝公を立てました。罪を犯した諸侯は誅殺しても、国は滅ぼしませんでした)。漢の諸侯は、罪があったり子がいない者は、国もそれと共に亡びました。今は漢の弊害を覆して周の旧制に倣うべきです(今宜反漢之敝,循周之旧)。そうすれば、下が固まって上が安んじます。

天下は至大(極めて大きいこと)であり、万事は至衆(極めて多いこと)ですが、人君は至少(極めて少ないこと)で、天日(天の太陽)と同じです。だから聖王の化(教化、政治)とは、要(要点、根本)を自分で掌握して、諸務は下に委ねるのです(是聖王之化,執要於己,委務於下)。これは(聖王が)労苦を嫌って安逸を好むからではなく、誠に政体とはそうあるべきだからなのです(非悪労而好逸,誠以政体宜然也)。事に当たって始めにできるかどうかを判別するのは、考察するのが甚だ困難です(夫居事始以別能否,甚難察也)(逆に)成敗(成功と失敗。結果)によって功罪を分けるのは、識別するのが甚だ容易です(因成敗以分功罪,甚易識也)。今、陛下はいつも事の始めに専心しているのに、結果に対する考察を疎かにしています(精於造始而略於考終)。これが政功(政治の成果)が完美にならない理由です(此政功所以未善也)。もし人主が平穏に要を掌握して、成敗の後に功罪を考察することができれば、群下が誅賞(賞罰)から逃れる(漏れる)こともなくなります(人主能居易執要,考功罪於成敗之後,則群下無所逃其誅賞矣)

古は六卿が分職して冢宰が師になりました(『資治通鑑』胡三省注が『周礼』を元に解説しています。天官冢宰、地官司徒、春官宗伯、夏官司馬、秋官司寇、冬官司空を六卿といい、冢宰がそれを総管しました)。秦・漢以来は九列が執事して(政務を行い)、丞相が都総(総管)しました。今は尚書が制断(専断、裁決)しており、諸卿は奉成しているだけなので(既に決定したことを実行しているだけなので)、古制を基にしたら(尚書の権限が)重くなり過ぎています。衆事を出して外寺(諸卿の官署)に付け、それを専らにさせるべきです(各官署がそれぞれの職務を専門に処理できるようにするべきです)。尚書は大綱を統領し、(秦・漢の)丞相が為したように、年末の官員に対する考課や校簿(文書の確認)・賞罰を担当するだけでも問題ないはずです(尚書統領大綱,若丞相之為,歳終課功,校簿賞罰而已,斯亦可矣)。今は全ての行動において、皆が既に決定した指示を上(尚書)から受けているだけなので、上が失したこと(上の過失)によって下を罰するわけにはいかず、年末になって事業と功績が建てられなくても、責任の所在が分からなくなっています(今動皆受成於上,上之所失不得復以罪下,歳終事功不建,不知所責也)

細過(細かい過失)や謬妄(道理から外れたこと)とは、人の情において必ず有るものです。それなのに法に依ってことごとく糾したら(正したら)、朝野に立人(生きた人)がいなくなってしまいます。近世以来、監司となる者は、おおむね、大綱を振るうことはないのに微過(細かい過失)は必ず挙げています。思うに、豪強を畏れ避け、また、職事の曠(荒廃)を懼れているので、慎重に網を密にして微罪を捕まえ、奏劾(弾劾の上奏)を相次がせて公を尽くしているように見せていますが、(実は)撓法(法を乱すこと)がその中にあります(実際には法を乱しています。法を乱しているのに、それが隠されています。原文「蓋由畏避豪強而又懼職事之曠,則謹密網以羅微罪,使奏劾相接,状似尽公,而撓法在其中矣)聖王は砕密の案を善とせず(些細な案件を好まず)、必ず凶猾の奏を責めたので(凶悪・狡猾を弾劾する上奏を追求したので)、害政の姦(政事を害す姦人)が自然に捕えられたのです(自然禽矣)

創業の勲功とは、教化を立てて制度を定め、遺風(後世に残した風気)によって人心を繋がせ、余烈(残された功績)によって幼弱(子孫、後代)を正させ、後世がこれを頼りにするかどうかにかかっており(夫創業之勲,在於立敎定制,使遺風繋人心,余烈匡幼弱,後世憑之)、昏(暗昏)でも明(明亮)のようであり、愚でも智のようであれば、尊ぶに足りるのです(原文「雖昏猶明,雖愚若智,乃足尚也」。『資治通鑑』胡三省注によると、「雖昏猶明,雖愚若智」の部分は、「法制が明らかなら、後嗣が昏愚(暗愚)でも依拠するものがあるので、その政治は明智な者が為しているようである」という意味です)

官署の修飾に至っては、諸々の作役(建築による労役)は常に過度な状態が害になるので、挙げないこと(労役を設けないこと)を患いる必要はありません(凡諸作役,恒傷太過,不患不挙)。これは将来、陛下(の指示)を待たなくても(必要なら)自然にできることです(此将来所不須於陛下而自能者也)。今は必要ないことに勤めており、その結果、根本となることを損なっているので、心中でそれを誤りだと思っています(今勤所不須以傷所憑,竊以為過矣)。」

 

 

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