東晋時代108 東晋孝武帝(七) 襄陽包囲 378年

今回は東晋孝武帝太元三年です。

 

東晋孝武帝太元三年 前秦天王建元十四年

戊申 378年

 

[一] 『晋書・第九・孝武帝紀』と『資治通鑑』からです。

春二月乙巳(十七日)、東晋が新宮の建築を開始しました。孝武帝は会稽王邸に移って起居することになりました。

 

[二] 『晋書・第九・孝武帝紀』からです。

三月乙丑(初七日)、雷雨・暴風に襲われ、家屋が飛ばされて木が倒れました(雷雨暴風,発屋折木)

 

[三] 『資治通鑑』からです。

前秦天王(秦王・苻堅)が征南大将軍・都督征討諸軍事・守尚書令・長楽公・苻丕と武衛将軍・苟萇、尚書・慕容暐を派遣し、歩騎七万を率いて襄陽に侵攻させました。

更に、荊州刺史・楊安に樊鄧(春秋時代に樊国と鄧国があった地域)の衆を率いて前鋒とさせ、征虜将軍・始平の人・石越に精騎一万を率いて魯陽関(『資治通鑑』胡三省注によると、南陽郡の魯陽県に魯陽関がありました)から出させ、京兆尹・慕容垂と揚武将軍・姚萇に衆五万を率いて南郷から出させ、領軍将軍・苟池、右将軍・毛当、強弩将軍・王顕に衆四万を率いて武当から出させ、それぞれ合流して襄陽を攻撃させました。

 

夏四月、秦兵が沔北に至りました。

東晋の梁州刺史・朱序は、前秦に舟檝(船舶)がないため、備えを設けていませんでした(不以為虞)

しかし暫くして石越が騎兵五千を率いて漢水を渡りました(浮渡漢水)

朱序は惶駭(恐惶、驚愕)して中城(内城)の守りを固めます。

 

石越が外郭(外城)を攻略し、船百余艘を獲て残りの兵を渡らせました。

(全軍が漢水を渡ってから)長楽公・苻丕が諸将を監督して中城の攻撃を開始します。

 

朱序の母・韓氏は秦兵がもうすぐ至ると聞いて、自ら城壁に登って履行(巡行、巡視)しました。西北の隅(角)に来た時、堅固ではないと判断して、婢(女僕)と城中の女丁(成人女性)合わせて百余人を率いて内側に邪城(恐らく直角な城壁の内側に斜めに造られた城壁です)を築きます。

秦兵が至ると、果たして西北の隅が潰えましたが、衆人は新城(邪城)に移って守りました。襄陽の人はこれを「夫人城」と呼びました。

 

桓沖は上明で七万の衆を擁していましたが、秦兵の強盛を恐れて、敢えて前に進むことができませんでした。

 

苻丕が襄陽を急攻しようとしましたが、苟萇がこう言いました「我々の衆は敵の十倍もおり、糗糧(干糧、食糧)も山積みになっているので、徐々に漢・沔の民を許・洛に遷し、その運道(輸送路)を塞ぎ、援兵を絶つだけで、(彼等は)網の中の禽獣のようになります(譬如網中之禽)。なぜ(これを)獲られないことを患いて、多くの将士を殺し、急いで成功を求める必要があるのでしょう(何患不獲而多殺将士,急求成功哉)。」

苻丕はこの意見に従いました。

 

慕容垂が南陽を攻略して太守・鄭裔を捕え、襄陽で苻丕と会しました。

 

[四] 『晋書・第九・孝武帝紀』からです。

夏五月庚午(十三日)、陳留王・曹恢(魏帝の子孫です。東晋哀帝興寧元年・363年参照)が死にました。

 

[五] 『晋書・第九・孝武帝紀』からです。

六月、大水(洪水)がありました。

 

[六] 『晋書・第九・孝武帝紀』と『資治通鑑』からです。

秋七月、東晋の新宮が完成しました。

辛巳(二十五日)、孝武帝が新宮に入って居住しました。

 

[七] 『晋書・第九・孝武帝紀』からです。

乙酉(二十九日)、老人星(前年参照)が南方に現れました。

 

[八] 『資治通鑑』からです。

前秦の兗州刺史・彭超が彭城の沛郡太守・戴𨔵を攻撃する許可を求め、併せてこう言いました「更に重将(大将)を派遣して淮南諸城を攻めさせ、征南(征南大将軍・苻丕。襄陽を攻撃しています)と棊劫の勢を為すことを願います(原文「願更遣重将攻淮南諸城,為征南棊劫之勢」。『資治通鑑』胡三省注によると、「棊劫」は囲碁の戦術の一つです。囲碁の勝負で、相手の右を攻めて敵が応じたら、左を攻めて取ることを「劫」といいます)。東西が並進すれば、丹陽の平定も難しくありません(原文「丹陽不足平也」。『資治通鑑』胡三省注によると、晋都・建康は漢代の丹陽秣陵県の地に当たります)。」

天王(秦王・苻堅)はこの意見に従い、彭超を都督東討諸軍事に任命しました。更に後将軍・俱難(俱が姓です)、右禁将軍・毛盛、洛州刺史・邵保が歩騎七万を率いて淮陽と盱眙を侵します。

彭超は彭越の弟、邵保は邵羌の従弟です(彭越、邵羌とも東晋廃帝太和二年・367年参照)

『資治通鑑』胡三省注によると、本来、洛州刺史は洛陽を治所としていましたが、後に北海公・苻重が豫州刺史として洛陽を鎮守し、平原公・苻暉が豫州牧として洛陽を鎮守することになったため、洛州刺史の治所は豊陽に遷されます(二年後の太元五年・380年に洛州刺史の治所が豊陽に遷されます

「淮陽と盱眙」は、『晋書・載記第十三』では「淮陰と盱眙」としており、胡三省注は『晋書』が正しいと指摘しています。西漢時代は淮陰、盱眙とも臨淮郡に属しましたが、東漢と晋の淮陰は広陵に属しました。

 

本文に戻ります。

八月、彭超が彭城を攻めました。

 

東晋孝武帝が詔を発し、秦兵を防ぐために、右将軍・毛虎生に五万の衆を率いて姑孰を鎮守させました。

 

前秦の梁州刺史・韋鍾が西城(魏興郡に属す県です)で魏興太守・吉挹を包囲しました。

 

[九] 『資治通鑑』からです。

九月、前秦天王(秦王・苻堅)が群臣と飲酒し、祕書監・朱肜を正(『資治通鑑』胡三省注によると、この「正」は「酒正」を指します。酒宴を管理する官です)に任命して、群臣が泥酔するまで飲ませようとしました(人以極酔為限)

すると、祕書侍郎・趙整が『酒徳の歌』を作ってこう言いました「地には酒泉が並び、天は酒旗(『資治通鑑』の原文は「酒池」ですが、胡三省注が「酒旗」に訂正しています。「酒旗」は星座名です)を垂らす。杜康(古代の酒造の名人)は妙識(見識が深いこと、精通していること)で、儀狄(夏代、禹に仕えたの酒造の名人)は先知した(後世において、酒が原因で国や身を亡ぼす者が現れることになると予言した)(酒が原因で)紂は殷邦(殷国)を喪い、桀は夏国を傾けた。これを元に言うなら、前人の危難とは後人の教訓である(地列酒泉,天垂酒池。杜康妙識,儀狄先知。紂喪殷邦,桀傾夏国。由此言之,前危後則)。」

天王は大いに悦んで趙整にこれを書き留めるように命じ、酒戒としました。

この後、天王が群臣と宴を開いても、礼飲するだけになりました。

『資治通鑑』胡三省注によると、礼においては、臣下が主君の宴に侍っても、三爵(三杯)を越えてはならないと決められていました(礼,臣侍君宴不過三爵)。これが「礼飲」です。

 

[十] 『資治通鑑』からです。

前秦の涼州刺史・梁熙が使者を派遣して西域に入らせ、前秦の威徳を顕揚しました。

冬十月、大宛が前秦に汗血馬を献上しました。

しかし前秦天王(秦王・苻堅)は「私はかねてから漢文帝の為人を慕っていた。千里の馬を使って何をするのだ(かつて西漢文帝は千里の馬を退けました。西漢文帝前元年・前179年参照。原文「吾嘗慕漢文帝之為人,用千里馬何為)」と言い、群臣に命じて『止馬之詩』を作らせ、馬を返しました。

 

[十一] 『資治通鑑』からです。

巴西の人・趙寶が涼州(『資治通鑑』胡三省注によると、『資治通鑑』の版本によっては「梁州」としています。趙寶は巴西の人で、巴郡太守を名乗るので、「梁州」が正しいようです)で挙兵し、自ら晋の西蛮校尉・巴郡太守を称しました。

『資治通鑑』胡三省注は「史書は蜀人が晋を思っていたことを語っている」と解説しています。

 

[十二] 『資治通鑑』からです。

前秦の豫州刺史・北海公・苻重が洛陽を鎮守していましたが、背反を謀りました。

 

前秦天王(秦王・苻堅)が言いました「長史・呂光は忠正なので、彼と一緒になるはずがない(必不与之同)。」

そこで天王は呂光に命じて苻重を逮捕させ、檻車で長安に送らせましたが、苻重を釈放して公の身分のまま家に帰らせました(以公就第)。苻重は苻洛(行唐公)の兄です。

 

[十三] 『資治通鑑』からです。

十二月、前秦の御史中丞・李柔が苻丕等を弾劾する上奏を行いました「長楽公・丕等は衆十万を擁して小城を攻囲(包囲攻撃)し、日に万金を費やしながら、久しく效(効果。成果)がありません。(彼等を)召して廷尉に下すことを請います(請徵下廷尉)。」

天王(秦王・苻堅)が言いました「丕等は大いに浪費しながら成果がないので、実に貶戮(処罰)されるべきだ(広費無成,実宜貶戮)。しかし、出師して既に時が経つので、功績なく還らせるわけにもいかない(但師已淹時,不可虚返)。よって、特別に彼等を赦し、功を成すことで贖罪とさせる(其特原之,令成功贖罪)。」

 

また、黄門侍郎・韋華を派遣し、符節を持って苻丕等を厳しく譴責させ(持節切譲丕等)、苻丕に剣を下賜してこう告げました「来春になっても勝てなかったら、汝は自裁せよ。再びその面をもって私に会う必要はない(来春不捷,汝可自裁,勿復持面見吾也)。」

 

[十四] 『資治通鑑』からです。

周虓は前秦にいましたが(東晋孝武帝寧康元年・373年参照)、秘かに桓沖に書を送って秦の陰計を伝え、更に逃亡して漢中に奔りました。

秦人が周虓を獲ましたが、赦しました。

 

 

次回に続きます。

東晋時代109 東晋孝武帝(八) 謝玄の反撃 379年

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