東晋時代111 東晋孝武帝(十) 秦晋の攻防 381年

今回は東晋孝武帝太元六年です。

 

東晋孝武帝太元六年/前秦天王建元十七年

辛巳 381年

 

[一] 『晋書・第九・孝武帝紀』と『資治通鑑』からです。

春正月、東晋孝武帝が初めて仏法を奉じ、殿内に精舍(出家した者が修身する場所)を建てて、諸沙門(仏僧)を招いて住ませました。

尚書左丞・王雅が上表して諫めましたが、孝武帝は従いませんでした。王雅は王粛の曾孫です(王粛は魏に仕えて経学で名が知られました。西晋武帝の母・王氏は王粛の娘に当たります。魏元帝咸熙元年・264年参照)

 

[二] 『晋書・第九・孝武帝紀』と『資治通鑑』からです。

丁酉(二十六日)、東晋が尚書・謝石を尚書僕射に任命しました。

 

[三] 『晋書・第九・孝武帝紀』からです。

東晋が始めて督運御史の官(物資の輸送を管理する官)を置きました。

 

[四] 『資治通鑑』からです。

二月、東夷、西域の六十二国が前秦に入貢しました。

 

[五] 『晋書・第九・孝武帝紀』と『資治通鑑』からです。

夏六月庚子朔、日食がありました。

 

[六] 『晋書・第九・孝武帝紀』からです。

揚・荊・江三州で大水(洪水)がありました。

 

[七] 『晋書・第九・孝武帝紀』からです。

己巳(三十日)、東晋が制度を改めて煩費(浪費、消費)を減らし、吏士の員(定員)七百人を削りました。

 

[八] 『晋書・第九・孝武帝紀』からです。

秋七月丙子(初七日)、東晋が五年の刑以下の者を赦免しました(赦五歳刑已下)

 

[九] 『晋書・第九・孝武帝紀』と『資治通鑑』からです。

甲午(二十五日)、東晋の交趾太守・杜瑗(『資治通鑑』では「交趾太守」、『晋書・孝武帝紀』では「交阯太守」です)が李遜(前年参照)を斬り、交州が平定されました。

 

[十] 『晋書・第九・孝武帝紀』からです。

東晋が大饑(大飢饉)に襲われました。

 

[十一] 『資治通鑑』からです。

冬十月、東晋の元武陵王・司馬晞が新安で死にました(司馬晞は東晋簡文帝咸安元年・371年に新安に遷されました)

孝武帝は司馬晞を新寧郡王に追封し、命を下して子の司馬遵に跡を継がせました(実際に司馬遵が司馬晞の跡を継いで新寧王に立てられるのは、孝武帝太元九年・384年の事です。再述します)

 

[十二] 『晋書・第九・孝武帝紀』と『資治通鑑』からです。

十一月己亥(『二十史朔閏表』によると、この年十一月は「戊辰」が朔なので、「己亥」はありません)、東晋が前会稽内史・鎮軍大将軍・郗愔を司空に任命しましたが、郗愔は固辞して起ちあがりませんでした。

 

[十三] 『晋書・第九・孝武帝紀』からです。

会稽の人・檀元之が東晋に反して自ら安東将軍を号しましたが、鎮軍参軍・謝藹之が討って平定しました。

 

[十四] 『資治通鑑』からです。

前秦の荊州刺史・都貴が自分の司馬・閻振と中兵参軍・呉仲を派遣し、二万の衆を率いて竟陵(『資治通鑑』胡三省注によると、竟陵は侯国で、西漢時代以降、江夏郡に属しましたが、西晋恵帝が分けて竟陵郡を置きました)を侵犯させました。

 

東晋の桓沖は南平太守・桓石虔、衛軍参軍・桓石民等を派遣し、水陸二万を率いて抵抗させました。

桓石民は桓石虔の弟です(どちらも桓豁の子で、桓彝の孫に当たります)

 

十二月甲辰(初八日)、桓石虔が閻振と呉仲を襲撃して大破しました。閻振と呉仲は退いて管城を守ります(『晋書・載記第十三』を見ると、桓石虔は滶水で閻振等を破っています。『資治通鑑』胡三省注によると、管城は滶水の北にあったようです)

桓石虔は兵を進めてこれを攻めました。

 

癸亥(二十七日)、桓石虔が管城を攻略し、閻振と呉仲を捕えました。斬首は七千級、俘虜は一万人に上ります。

 

孝武帝が詔を発して桓沖の子・桓謙を宜陽侯に封じ、桓石虔に河東太守(『資治通鑑』胡三省注によると、東晋成帝の時代に、征西将軍・庾亮が司州の僑戸(移民)を集めて南河東郡を置きました。荊州に属します)を兼任させました(領河東太守)

 

尚、『晋書・第九・孝武帝紀』は「十二月甲辰(初八日)、苻堅が襄陽太守・閻震を派遣して竟陵を侵犯させたが、襄陽太守・桓石虔がこれを討って擒にした」と書いています。『晋書・載記第十三』では「襄陽太守・閻震」を「司馬・閻振」としており、『資治通鑑』は「載記」に従っています。

『晋書・孝武帝紀』の「襄陽太守・桓石虔」という部分は、中華書局『晋書・孝武帝紀』校勘記が「桓石虔は当時、南平太守であり、襄陽(太守)ではない」と解説しており、『晋書・載記第十三』でも「南平太守・桓石虔」としています。『資治通鑑』も「載記」に従っています。

 

[十五] 『資治通鑑』からです。

この年、江東が大飢饉に襲われました(江東大饑)

 

 

次回に続きます。

東晋時代112 東晋孝武帝(十一) 苻陽謀反 382年(1)

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